【3】-1 RK Musicのガイドラインは〚Stage 5〛の利用許諾にあたる
利用許諾とは――条文を見てみよう
まず、著作権法が利用許諾について定めた条文を見てみましょう。
著作権法63条(著作物の利用の許諾)
1項 著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
2項 前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。
わかりやすい条文ですね。
本来、他人の著作物を勝手に利用(複製・翻案・公衆送信etc..)することはできません。
もし勝手に利用したら、それに対して著作権者は「やめろ!」と言ったり、損害賠償を請求できます。
ですが、著作権者自身が「お前も使って良いよ」と言った場合には、そういったペナルティーを受けることなく利用できるようになります。
なんというか、当たり前な話ですね。
通常、利用許諾は「著作権者と利用者の1対1の契約」という形式で行われます。
たとえば、VTuberチップスは、販売元である株式会社CyberZが、著作権者であるRK Musicと、ヨミとカスカの公式立ち絵イラストの利用許諾契約を結んで使っているはずです。
二次創作への3つの対処法――利用許諾はそのうちの1つ
VTuber/singer事務所が、たくさんの二次創作すべてに「1対1契約」で対応するのは、途方もない労力がかかり現実的ではありません。
運営が「1対1契約」の事務処理の負担から解放される方法は、3つあります。
方法1 放置・黙認
著作権侵害の効果は、著作権者に差止めや損害賠償を請求する権利が生まれるところまでです。
実際にその権利を行使するかどうかは著作権者が自由に決められます。
ある事務所に「1対1契約」での利用許諾の窓口がない場合、ファンはどうするでしょうか?
(たとえば漫画の場合「ジャンプ」の集英社も「マガジン」の講談社も、個人が利用許諾を申し込む窓口はありません。また、それぞれのサイト内に「個人からの利用申請は受け付けておりません」と書いてあります。)
「許諾がない以上やめるべきだ!」と考える人ばかりではありません。
(なかには許諾が必要だと知らない人もいるでしょう。)
許諾を得ないまま(権利侵害の)二次創作が出回ります。
その二次創作について、事務所は著作権を行使することもしないこともできます。
「宣伝になってるから泳がせとくほうが得か…」
「そんなに実害ないし面倒なので放っておこう」
と判断した場合などは、放置・黙認を選択するでしょう。
その状態が続くと、ファンたちは「二次創作をやっても大丈夫でしょ」と判断するようになります。
このような放置・黙認の代表例が、同人誌です。
「同人誌は全て原作の著作権侵害」
「原作者に黙認してもらっているに過ぎない」
と思っている人が多いかもしれませんが、実はそうではありません。
二次創作の同人誌でも、原作の著作権を侵害しない場合もたくさんあるのです。
以下、原作漫画にどのような著作権が成立し、二次創作物とどういう関係になるか、簡単に解説します。
キャラクターは著作権の対象ではない
まず、漫画の(人格としての)「キャラクター」は、著作権法では保護されません。
その理由を最高裁判所が説明しています。
(「ポパイ」事件 最判平成9年7月17日( 平成4(オ)1443)
キャラクターといわれるものは、漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができない
具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。
- 著作権で保護される『表現』とは、漫画で直接描かれている具体的なものである
- 人格としてのキャラクターは、漫画で具体的に描かれている『表現』そのものではなく、『表現』から間接的・帰納的に導かれる抽象的な概念である
- そのため、人格としてのキャラクターは『表現』ではないから保護されない
…といった考え方です。
では、何が著作権の保護対象となるのか?
上の最高裁判例は、続けてこう判示しています。
一定の名称、容貌、役割等の特徴を有する登場人物が反復して描かれている一話完結形式の連載漫画においては、当該登場人物が描かれた各回の漫画それぞれが著作物に当たる
●第一回作品においては、その第三コマないし第五コマに主人公ポパイが、水兵帽をかぶり、水兵服を着、口にパイプをくわえ、腕にはいかりを描いた姿の船乗りとして描かれている~(略)~
●本件図柄一に描かれている絵は、第一回作品の主人公ポパイを描いたものであることを知り得るものであるから、右のポパイの絵の複製に当たり、第一回作品の著作権を侵害するものというべきである。
以上の判断方式を簡単にまとめると、
●著作権侵害かどうか問題となる「著作物」の範囲
:一話完結形式の漫画であれば1話ごとなど、話が完結している範囲
●「著作物」のなかで著作権で保護されている『表現』
:第3~第5コマといった、その「著作物」のなかで具体的に描かれている絵・デザイン
…という感じです。
同人誌に言い換えると、
- 「同人誌のAAページBBコマの絵」が、
- 「原作漫画のcc話のddコマ~eeコマの絵」の複製・翻案にあたるから、
- 「原作漫画のcc話」の著作権侵害となる
…という構造です。
以上を前提に、もっと具体的に「アニメの同人誌」について判断した裁判例(アクラスBL同人誌事件(知財高判令和2年10月6日 令和2(ネ)10018)があります。
この裁判例の判決は、「自分の著作権が侵害された」と主張するためには
・そのアニメのどのシーンの著作権侵害を主張するのか
アクラスBL同人誌事件(知財高判令和2年10月6日 令和2(ネ)10018)
・第何回のどの部分
といった「具体的特定」をしなければならないとしています。
事件の概要
株式会社アクラスが、「BL同人801館」というサイトを運営し、多数の二次創作BL同人誌を無断で掲載していました。
自分の作品を掲載された同人誌作者が、株式会社アクラスを著作権侵害で訴えました。
争いになったこと
株式会社アクラスは、
「そもそもその二次創作同人誌は原作アニメの著作権を侵害するものだから、そんな同人誌についての著作権の行使は、信義則違反または権利の濫用にあたるから認められない」
と主張しました。
そのなかで、二次創作同人誌が原作アニメの著作権を侵害するかどうかの判断方法について、次のように主張しました。
原著作物の特定の画面に描かれた登場人物の絵と細部で一致することを要求するものではなく,その特徴から当該登場人物を描いたものであることを知り得るものであれば足りる。
なお,誰が見ても原著作物の登場人物が表現されていると感得されるようなものであれば,どの回の,どのコマの絵を複製したものであるかを特定する必要はない。
裁判所の判断
1. 何と何を対比して著作権侵害を判断するか
シリーズもののアニメに対する著作権侵害を主張する場合には,そのアニメのどのシーンの著作権侵害を主張するのかを特定する~(略)~必要があるものというべきである
(アクラスは)登場人物等に関しては,登場シーンを特定する必要はないという趣旨の主張をするが,上記最高裁判所判決に照らし,採用することはできない。
として、あくまで登場シーンを特定して、そのシーンの著作権侵害を主張する必要がある、としました。
2. アニメの特定のシーンには、どんな著作権が成立しているか
- シリーズもののアニメの後続部分は,先行するアニメの
・基本的な発想・設定
・登場人物の容貌・性格等の特徴
…を引き継いで、新たな筋書きや登場人物を追加して作成される - このような場合には,後続のアニメは,先行するアニメを翻案したものであって,先行するアニメを原著作物とする二次的著作物である
二次的著作物の著作権は,二次的著作物において新たに付与された創作的部分について生じ,原著作物と共通しその実質を同じくする部分には生じない
そのシーンがアニメの続行部分に当たる場合には,その続行部分において新たに付与された創作的部分を特定する必要がある
…としました。
ざっくりまとめると、以下のような感じです。
- シリーズものアニメの途中の回は最初の回の二次的著作物であって
- 途中の回の特定のシーンの中には、以下の2つの部分がある
- 【ア】初登場シーンの表現の翻案として、初登場シーンの著作権で保護されている部分
- 【イ】そのシーンで新たに生み出された表現として、そのシーン自体の著作権で保護される部分
- もし【イ】そのシーン自体の著作権の侵害を主張するのであれば、「そのシーンで」新たに付与された創作的部分を特定して著作権侵害を主張しなければならない
3. キャラのデザインが似ているに留まる場合、どうなる?
アクラスは、一応「同人誌このシーンが原作のこのシーンの著作権を侵害する」という対比表も証拠として提出していました。
裁判所はこの対比表を見て、
主人公等の容姿や服装などといった基本的設定に関わる部分以外に共通ないし類似する部分はほとんど見られない
(なお,~(略)~共通点として説明されているものの中は,表現の類似ではなく,アイディアの類似を述べているのに過ぎないものが少なくないことを付言しておく。)
と判断しました。
そして、
基本的設定に関わる部分については,それが,基本的設定を定めた回のシーンであるのかどうかは明らかではない
としています。
2. の理屈にもとづき、
- 著作権侵害を主張しているシーンが基本的設定を最初に定めたものであれば、そのシーンで基本的設定について著作権が成立するかもしれないが、
- そうでない場合には、そのシーンには基本的設定についての著作権が成立していない(そこで描かれている基本的設定については、「基本的設定を定めた回」の複製に過ぎないため)
- 著作権侵害を主張する人は、「そのシーンが基本的設定を最初に定めたもの」であると証明しなければならない
- もしその証明ができなかったら、「そのシーンで定めた基本的設定の著作権」の侵害があるとは認められない
…という枠組を示しました。
そして、アクラスが「そのシーンが基本的設定を最初に定めたもの」を主張・立証していない以上、そのシーンで基本的設定についての著作権が成立していると認めることができません。
そのため、
結局,著作権侵害の主張立証としては不十分であるといわざるを得ない。
として、アクラスの主張は斥けられました。
コメント
この裁判例は、上記のポパイ事件を前提に、キャラのデザインのような基本的設定について著作権侵害を主張するには、
基本的設定が定められたシーンを具体的に特定して、それと比較する
という方法を採用するべきだとしています。
ここでこの裁判例が用いている「シーン」という言葉が指す範囲が問題となります。
どの程度まで(1フレーム単位で)細かく特定する必要があるのでしょうか?
ポパイ事件は「第一回作品において表現されているポパイの絵の特徴」…という風に判断しており、第3コマ・第4コマ・第5コマをそれぞれ一つずつ侵害物の図柄と照らし合わせていません。
ポパイ事件の考え方をアニメに素直に適用すると、対比すべきは「その回を通じて描かれているそのキャラのデザイン」ということになりそうです。
たとえば、その回であるキャラが、4分頃と10分頃と18分頃に登場した場合、その全てを総合して、キャラのデザインをいわば帰納的に導き出す、みたいなことになりそうです。
ですが、この裁判例ではあくまで「第何回のどの部分という具体的特定」が必要であるとしています。
上の例でいくと、4分頃の出番だけに限定して、そこでそのキャラが画面内に表れてから消えるまでに描かれているものと対比することになりそうです。
そうなると、実質的には「ある瞬間で一時停止したときの絵」と対比するのとかなり近そうです。
ですので、この裁判例は、ポパイ事件をさらに一歩押し進めて、判断基準を「その著作物を通して帰納的に導き出されるデザイン」ではなく「実際に描かれているこの絵」に寄せた、と評価することができそうです。
ここまで説明しているのは「あるキャラクター」について著作権侵害が生じるとしたらどういう形になるのか?の話です。
基本的にはビジュアル・イラストの問題に回収されそうです。
ところで、漫画がただのイラストと違うのは、コマを割って、コマを順番に追う流れで『ストーリー』を紡いでいることです。
そして、『ストーリー』は一定の範囲・条件で、著作権で保護されます。
ストーリーは著作権法上(どの範囲で)保護されるのか?
小説について考えましょう。
小説などの言語の著作物では、「ある文章」について著作権が生じるのは当然です。
たとえば、『涼宮ハルヒの憂鬱』というライトノベルがあります。
その冒頭部分は、以下のように始まります。
サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うと、これは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。
この一文だけで、このモノローグを語る主人公「キョン」がどんな人柄か想像がつく、名文ですね。
もし私が「小説を書くぞ!」と思い立って、大好きなこの文章をそのまま自分の原稿に書き綴ったら、間違いなく著作権侵害です。
ですが、次のような文章はどうでしょうか?
恥の多い人生を送ってきました。
メロスは激怒した。
いずれも名だたる文学作品の出だしの一文です。
これらが「著作物」として保護されるには、創作性がある・言い換えると「ありふれた表現」ではないことが必要です。
ですが、これが「ありふれた表現」でないかどうかは意見がわかれるでしょう。
このように、崇高な芸術作品であっても、個々の文に切り刻んでいくと、その部分だけでは創作性があると言い切れないものがあります。
これは言語の著作物の宿命でもあります。
言語の著作物は、文字・単語によって紡がれます。
文字・単語は万人にとって共通ですから、文字一つ・単語一つに「創作性」が表れることはありません。
単語の組み合わせである文も、使う単語数の少ない短い文であればあるほど「ありふれた表現」ということになるでしょう。
かといって、作家は「著作権で保護されるために一文をできる限り長くしよう」とは考えないでしょう。
そのような文は読みづらいし、美しくないでしょうし。
これらの作品の「文学性」つまり表現としての崇高さ・稀有さは、一つひとつの文の巧みさだけでなく、文を連ねて紡ぐ物語の描写・展開にあると言えます。
そのことを考えると、個々の文に留まらず、文のまとまりによって描写される内容を保護する必要がありそうです。
そして、「異なる文章表現で描かれているが、描写されている内容は同じだから著作権侵害だ」と判断するためには、作品の内容をある程度抽象化して照らし合わせることになります。
また、もし「個々の文の表現」にしか著作権法の保護は及ばないとすると、次のような「脱法行為」が可能になります。
『人間失格』のすべての文を、一つ文ごとに、微妙に違う言い回しに替えていきます。
たとえば、冒頭の一文であれば
私はこれまでの人生で恥をかくことが多かった。
としましょう。
この文章だけを見て、「恥の多い人生を送ってきました」という文章の複製・翻案にあたるから使用は許されない!ということにはならないはずです。
ですので、この変換行為は、自由利用の枠内ということになります。
このような工程を、『人間失格』の全ての文に施していきます。
すると、「『人間失格』内に登場する文と同じ表現を一切使わず、しかし作内で描写される内容全てを描き切るもの」が出来上がります。
上に書いたとおり、もし著作権が「個々の文の表現」にしか及ばないとすれば、このような”実質”コピー品を作るのは自由ということになります。
小説を買う人のなかには、一つひとつの文章表現にそれほど思い入れがなく、もっぱらそのストーリー・内容にのみ関心がある人もいるはずです。
そういう人に向けて、”実質”コピー品をオリジナルの1割くらいの値段で売るのは、良い商売になりそうではありませんか?
(“実質”コピー品は、AIを使えばものの数十分で作れてしまいそうです。)
いくら頑張ってオリジナル作品を執筆して出版しても、翌日には”実質”コピー品が表れて、少なくない人そっちの購入に流れてしまう・・・
そうなったら、小説家は商売上がったりです。
『ストーリー』が保護される」ということに対して、
『ストーリー』って『アイディア』で、著作権法が保護する『表現』ではないのでは?
と思う方もいるかもしれません。
著作権法には
「著作権法が保護するのは『具体的な表現』そのものであって『アイディア』ではない」
という一般原則があります。
日本に限らず、多くの国や条約で採用されている原則です。
そのとおりです。
『ストーリー』をどこまで具体的に捉えるかによって、それは『表現』ではなく『アイディア』だ、と評価するべき場合があります。
『ストーリー』とは、物語をある程度抽象化した展開・筋書きです。
上の +【余談】なぜ『ストーリー』も保護すべきか? で書いた通り、小説は個々の文章表現まで完全に一致しなくても『ストーリー』のような内容が同じであれば保護すべき場合があります。
これは小説だけでなく、漫画でも同様です。
では、『ストーリー』は、どの程度一致していれば著作権侵害とすべきでしょうか?
『桃太郎』を例に考えてみましょう。
『桃太郎』の『ストーリー』を、3段階にわけて、だんだん抽象化してみます。
【抽象化レベル1】
老夫婦が川を流れていた桃を拾う。中から男児が表れる。男児が立派に成長したあるとき、近くの地域で人間を脅かす鬼が出没して困っていることを知る。
男児はこれの討伐に向かう。道中、犬・猿・雉を配下に加えた男児は、配下の協力もあって危険な存在の討伐に成功する。
【抽象化レベル2】
自然分娩を経ずに生まれた男児が、人間以外の存在を配下に加え、人間に危害を加える存在を討伐する。
【抽象化レベル3】
特殊な若者が、人間に危害を加える存在を討伐する。
【抽象化レベル3】で一致していれば著作権侵害だ、とすると、大変なことになります。
スーパーマンも、ドラゴンボールも、Reゼロも、全部が『桃太郎』の著作権侵害になってしまうのです。
【抽象化レベル2】でも、『ゲゲゲの鬼太郎』なんか当てはまりそうですね。
あまりに抽象的なレベルまで保護してしまうと、他の作品が作れなくなってしまいます。
それでは「表現がたくさん増えてほしい」という著作権法の目的に反します。
ですので、『ストーリー』を保護するためには多少なりとも抽象化する必要があるものの、その抽象化は一定のレベルで止める必要があります。
問題は、「一定のレベル」とはどこかです。
残念ながら、これについて一般的な基準を設けるのは困難です。
というか、一般的な基準を設けるべきではないかもしれません。
これは「著作物をどの程度まで保護すべきか」という価値判断の問題であり、その判断はなるべくきめ細やかに行うべきであるからです。
少なくとも、小説、脚本…といった表現方法のジャンル、さらに小説でも時代小説、実際の事件をモデルにした小説、ファンタジー小説、童話…という作品のジャンルに合わせた基準を用意するのが望ましいでしょう。
結局は、相場、そして裁判所の決断です。
エンターブレインの発売した「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」が任天堂の「ファイアーエムブレム トラキア776」のパクリであるとして裁判になりました(東京高判平成16年11月24日 平成14(ネ)6311)。
ゲームシステム・キャラなど色々な点が著作権侵害であるかどうか争われたなかで、ストーリーも「翻案」にあたるかどうかが問題となりました。
裁判所は、両者のストーリーが共通する部分は
亡国の少年王子が,ペガサスユニット,ドラゴンユニット,魔道士ユニット等も登場するファンタジーな世界を背景とし,架空の大陸における架空の小王国,小公国,小領主国間の戦乱を舞台として,戦闘等を行って仲間を増やし,成長させ,敵側を制圧する。
であると認定したうえで、
ストーリーを抽象化した粗筋としては共通するが,この粗筋は著作物として保護するには抽象的すぎるというべきであり,著作物としての創作性を有する具体的なストーリーにおいては両ゲームは異なることは明らかである。
と判断しました。
NHKの放送する大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の第一話が、黒澤明監督の映画「七人の侍」のパクリだとして裁判になった事件です。
第一審(東京地判平成16年12月24日 平成15(ワ)25535)は、両者のストーリーの共通部分は
野盗に狙われた弱者に侍が雇われて,これを撃退する
に留まるとし、これはアイデアの段階に留まるため表現ではないと判断しました。
控訴審(知財高判平成17年6月14日 平成17(ネ)10023)も、この判断を支持しています。
なお、余談ですが、第一審が
原告映画をして映画史に残る金字塔たらしめた,上記のような原告脚本の高邁な人間的テーマや豊かな表現による高い芸術的要素については,被告脚本からはうかがえない。
…と、さり気なく大河ドラマをdisっているの、おもしろい。
ですが、一つ言えることがあります。
それは、(人格としての)キャラクターそのものは『ストーリー』ではない、ということです。
ある作品のなかで、
「Aというキャラが、川で溺れている犬を救うために川に飛び込んだ」
「Aというキャラが、歩道橋を登れなくて困っている老婆をおんぶして道を渡った」
…というストーリーが描写されていたとします。
Aは心優しい人物に違いありません。
ですが、『ストーリー』として保護される可能性があるのは、あくまで「川に飛び込んだ」「~道を渡った」というエピソードに留まります。
「Aという人間が心優しいこと」自体は、あくまでエピソードを通じて読者が読み取るものです。
作品に直接書かれているわけではありませんから、『ストーリー』とは言うことができません。
『ストーリー』は『表現』か?『アイディア』か?
『ストーリー』は『表現』なのか『アイディア』なのか、という問題に戻ります。
実は、この問いには意味がありません。
なぜならば、この程度に具体的であれば保護すべきだというものを『表現』、この抽象化レベルまで保護すべきではないというものを『アイディア』と呼んでいるに過ぎないからです。
同人誌に話を戻すと
さて、同人誌に話を戻すと、同人誌のほとんどは、原作の『ストーリー』をそのまま用いる・再現するものではないでしょう。
むしろ、原作には存在しないエピソードを描くことに楽しみがあるように思います。
ですので、漫画の『ストーリー』が保護されるといっても、同人誌が原作の『ストーリー』の著作権を侵害する、ということはなさそうです。
『ストーリー』の著作権侵害が問題となるのは、原作と同人誌ではなく、むしろ同人誌同士で
「お前!私の同人誌のストーリーをパクったな!」
と争うような場合でしょう。
したがって、たしかに漫画には『ストーリー』を描くという性質があり、その『ストーリー』も一定の範囲で保護されるが、「同人誌が原作の著作権を侵害するか」という関係では、もっぱら『イラスト』のようなビジュアル面のみが問題になるというわけです。
どのシーンの著作権侵害を主張すべきか
トレパクのように、同人誌のコマが、原作の特定のコマの構図なども含めて一枚絵レベルで複製・翻案しているのであれば、(その原作のコマに著作権が存在する限り)複製・翻案権侵害となることに疑いの余地はありません。
しかし、多くの同人誌は、原作の特定のコマを模写しているわけではなく、その作品で描かれているキャラのビジュアル的な特徴(これをアクラスBL同人誌事件では『基本的設定』と表現しています)を再現しているだけに留まります。
では、原作のキャラのビジュアル的な特徴には、どこで著作権が生じているのでしょうか?
上にも挙げた通り、著作権侵害の判断基準となるのは「原作漫画のcc話のddコマ~eeコマ」の絵です。
そして、キャラのビジュアル的特徴について著作権が発生するのは「そのビジュアル的な特徴を最初に表現した絵」です。
(キャラの初登場シーンなどでしょう。)
ですので、キャラのビジュアル的特徴についての著作権侵害は、
「原作漫画で最初にキャラのビジュアル的特徴を表現したcc話のddコマ」を具体的に特定して、それと同人誌のAAページBBコマを比較する
という方法で判断します。
(詳細については、上の +【参考】アクラス事件BL同人誌事件 にて解説しています。)
さて、上で挙げたのは「そのビジュアルについて著作権が生じたのはどこか」の話です。
「最初のコマ以外には著作権がないからパクり放題!!」
というわけではありません。
- 原作漫画のなかで、キャラのビジュアルを最初に表現した場所
=cc話ddコマ - トレパク元となった原作漫画のコマ
=xx話yyコマ - トレパク疑惑がある同人誌のコマ
=AAページBBコマ
としましょう。
ddコマが創作的表現であると認められた場合、xx話yyコマは「作者自身が『cc話という原著作物』を複製・翻案した二次的著作物」です。
xx話yyコマがcc話ddコマの「複製」である場合
xx話yyコマに描かれているのは、著作権法上は「cc話ddコマ」という扱いです。
ですので、同人誌のAAページBBコマがxx話yyコマを複製・翻案した場合、法律上は「cc話ddコマを複製・翻案した」ことになります。
したがって、AAページBBコマは原作漫画cc話の著作権侵害となります。
xx話yyコマがcc話ddコマの「翻案」である場合
xx話yyコマのなかには、
・cc話ddコマの創作的表現が表れている部分
・新たに付け加えられた創作的表現の部分
…があります。
AAページBBコマは、前者の部分についてはcc話ddコマの複製・翻案であり、後者の部分についてはxx話yyコマの複製・翻案です。
以上により、
cc話に著作権が成立する限り、AAページBBコマは、xx話yyコマの複製・翻案行為を通じてcc話の著作権を侵害している
…ということになるのです。
「cc話→xx話→AAページBBコマ」とつながっているために、AAページBBコマがcc話の著作権を侵害すると言えるわけです。
同人誌を描いた乙さんを、原作者甲さんが著作権侵害で訴えたい場合、
AAページBBコマを描いた乙さんが甲さんの持つ著作権を侵害していると証明するためには、
・xx話yyコマに自分が著作権を持っていることを証明するために、
・xx話yyコマの著作権の源となるcc話ddコマを特定して、
①cc話ddコマは創作的表現であること
②甲がcc話の著作権を持っていること
③xx話yyコマはcc話ddコマの複製・翻案物だから、xx話yyコマにも自分の持つcc話の著作権が及ぶこと
…を証明する必要がある
ということになります。
- 証明の手順としてcc話ddコマを特定して、「cc話ddコマ→xx話yyコマ→AAページBBコマ」が複製・翻案でつながることを証明しなければならない
- そもそもcc話ddコマが著作物(=創作的表現)と認められない話が始まらない
…という2点がポイントです。
初登場シーンで、本当に著作権が生じているか?
「cc話のddコマの著作権を侵害している」と認められるためには、前提として、そのcc話のddコマの絵に「創作性」が認められる必要があります。
ここで問題となるのは、cc話ddコマの絵が「ありふれた表現」ではないか?という点です。
漫画家さんが心血注いで創ったキャラを「ありふれた表現」などと評価することに抵抗を感じる人も多いかと思います(私もそうです)。
しかし、私たちがあるキャラクターに個性を感じるのは、漫画で描かれたストーリーや関係性といった文脈の力によるところも大きいです。
ストーリーや関係性は、ビジュアルの創作性を評価するにあたっては無視しなければなりません。
また、著作権法では「画風」は保護されません。
ですので、cc話ddコマで描かれている「基本的設定」の創作性とは、キャラの髪型・紙の色・瞳の色・服のデザイン・体型…といった記号的な要素の組み合わせであり、その組み合わせがありふれたものかそうでないか判断することになります。
先に挙げた裁判例で、兎田ぺこらさんのイラストの創作性について、このように認定しています。
頭頂部からウサギの耳のような形状の耳が生え、左側頭部の三つ編みの上部、右側頭部の三つ編みの下部及び左腰部のポケットにそれぞれにんじんが1本ずつ挟まり、首元にウサギを模したマフラーないしショールを身につけているなど、ウサギを擬人化したような特徴的なデザインとなっているものと認められる。
そうすると、控訴人イラストは、創作者の個性が発揮されているということができるから、思想又は感情を創作的に表現したものに該当する。
兎田ぺこらさんの同人誌を書くときに、人参ヘア―やショールを描かない場合、このイラストの創作的な部分が同人誌に表れていないので複製にも翻案にも該当しなそうです。
特にリアリティ寄りの作品や、服装・髪色に制限のある学園モノのキャラは、この組み合わせの選択肢が「現実によくある」ものに限定されてしまうため、「ありふれたもの」と評価されてしまうことも多いでしょう。
裁判例情報
事件の概要
あるアニメ会社が、ゲーム「ときめきメモリアル」のエンディング(伝説の樹の下で告白するシーン)の続きという設定でアダルトアニメを制作・販売したことが、著作権侵害だと裁判になりました。
争いになったこと
裁判のなかで、原作ヒロイン「藤崎詩織」さんのデザインが著作物にあたるか争われました。
裁判所の判断
裁判所は、
本件藤崎の図柄は、
・僅かに尖った顎及び大きな黒い瞳(瞳の下方部分に赤色のアクセントを施している。)を持ち、
・前髪が短く、後髪が背中にかかるほど長く、赤い髪を黄色いヘアバンドで留め、
・衿と胸当てに白い線が入り、黄色のリボンを結び、水色の制服を着た女子高校生
…として、共通して描かれている。
本件藤崎の図柄には、その顔、髪型の描き方において、独自の個性を発揮した共通の特徴が認められ、創作性を肯定することができる。
と、創作性を認めました。
コメント
裁判所は、瞳の色・髪型といった「顔、髪型の描き方」に創作性を認めています。
(制服について触れていないのは、創作性がないという意図なのかどうかはっきりしません。)
さて、この裁判例には1点問題があります。
それは、藤崎詩織さんの作品を通した「共通の特徴」を検討の対象としており、「このイラスト」というふうに著作物を特定していないことです。
もっとも、この作品で何枚のイラストが使われているかわかりません。
昔の作品ですから、あまり多くないかもしれません。
そうであれば、「共通の特徴」とは言っても、実質的には「このイラスト」について判断しているのと大差はないでしょう。
同人誌が初登場シーンの著作権を侵害するか?
こういったハードルを越えて、cc話ddコマに創作性が認められたとします。
しかし、同人誌のなかで、cc話ddコマの記号的な要素の組み合わせがそのまま採用されていないこともあります。
髪型が微妙に違っていたり、服装に変更が加えられていたり。
同人誌がcc話ddコマで描かれているビジュアル的な特徴の「著作権を侵害する」と言えるためには、同人誌AAページBBコマがcc話ddコマの「複製または翻案である」と認められる必要があります。
複製・翻案と言えるか、それとも著作権を侵害しない別の表現と言えるかの判断基準は、【Part 2】{前編}で示した通り「表現上の本質的特徴を直接感得できるか」です。
この場合で言えば、「ccページddコマで描かれている絵の記号的な要素の組み合わせの本質的な特徴を、そのまま感じ取ることができるか」です。
もしAAページのBBコマが、原作cc話ddコマから記号的な要素のうちのいくつか(服装など)を変更していたら、「そのまま感じられる」とは言えない場合も多いでしょう。
【Part 2】{前編}のなかの + 【紹介】静止画に文字を重ねた場合で紹介した裁判例では、イラストの髪型やシャツの色を変更したものが著作権侵害にあたると判断されました(東京地判令和3年5月28日(令和3年(ワ)7374)。
「頭にフードを被り、前髪が目までかかった細身の若い男性が、流し目で右前方を見ている」という本件著作物の表現上の本質的特徴を維持しつつ、複製した画像の一部をトリミングし、「なまらわや」「レオラギ多めグッズ」との文字をイラストに重ね、男性のシャツの色や髪の長さなどに変更を加え、著作者名の表示をせずに、ウェブサイトに掲載した
ものが、
本件著作部に係る原告の著作権(複製権、公衆送信権)及び著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)を侵害するものであることは明らかである
…と判断されています。
ただし、注意すべきは、この事件はトレパク類型のものです。
著作物の画像をそのまま流用したうえで、シャツの色や髪型を「上書き」しているものです。
そのため、表現上の本質的特徴に「流し目で右前方を見ている」という構図も含まれています。
本文で問題としているのは、このようなトレパク類型ではなく、キャラのビジュアル的特徴のみが問題となる場合について、ビジュアル的特徴の一部が変更されてもなお「表現上の本質的特徴を直接感得できるか」ということです。
なお、この裁判例では、パクリ元の画像が創作的表現であって著作物であると、裁判所はとてもあっさりと認めています。
この背景には、
・構図も含めて創作性を判断していること
・被告側が創作性を否認したものの具体的な主張をしなかったため実質的に争いにならなかったこと
…があると考えられます。
このように、著作権法の構造上、漫画の二次創作が著作権侵害となる範囲は、皆さんが思っているよりもかなり狭いのです。
放置・黙認のメリット
「著作権者はいつでも気が変わったら著作権を行使できる」という点です。
泳がせとく旨味がなくなったら差止め請求をして消させる、ということもできます。
放置・黙認のデメリット
「著作権者はいつでも気が変わったら著作権を行使できる」という点です。
「あれ、メリットと同じじゃない?」
と思った方、大正解です。
二次創作をする側から見てみましょう。
いま自分の二次創作が差止めされたり損害賠償請求されないのは、著作権者の単なる気まぐれです。
明日になって差止めや損害賠償を請求されない保証はどこにもありません。
昨今、至るところで「著作権」という言葉を目にし、YouTubeには著作権侵害によって非公開にされている動画がいくつも転がっています。
また、著作権侵害によって何百・何千万円の損害賠償の義務が課されたり、刑務所にぶち込まれたりといったニュースも珍しくありません。
(切り抜き動画の損害賠償がそれだけの額になったり、それだけの刑罰が下されることはないと思います ➡【Part 3】で説明します。)
たとえば私の切り抜き動画は、作成するのに1本最低8時間、長くて30時間くらいかかります。
それが著作権者の胸先三寸で、一瞬にして非公開にされてしまったり、場合によっては損害賠償を請求されたり・・・
考えたくありませんね。
合理的にリスクを管理できる人間であれば、そういう二次創作は避けるはずです。
したがって、放置・黙認による場合、方法2,3の方法と比較して二次創作が活発に行われなくなります。
特にVTuber界隈において切り抜き動画の宣伝効果は大きいと言われますし、ファンアートの豊富さはファンコミュニティの活性・そのアーティストを取り巻く熱気に強く関係します。
そういった二次創作の効用を重視する場合は、放置・黙認ではなく別の方法を採るべきでしょう。
方法2 著作権の放棄
著作権は放棄することができます。
著作権者が、ある著作物についての著作権を放棄したら、その「元」著作権者は、その著作物について何の権利も持っていない他人となります。
事務所が著作権を持っていなければ、事務所の著作権の侵害は生じ得ません。
事務所が「ええいもう面倒だ、みんな好き勝手に使ってくれればそれで良いよ」と思ったら、著作権を放棄してしまうのも手です。
著作権の放棄のメリット
単純に「そのコンテンツが利用される回数を一番多くする」ことを目指す場合、この方法が最も適切でしょう。
というのも、利用者が著作権侵害を犯すリスクが完全に消滅し、かつ、利用行為にリスクがないことがわかりやすいからです。
使いたいと思った人全員が、気兼ねなく使えるというわけです。
黙認のように著作権者の気分次第で差止め・損害賠償をされるリスクはありませんし、利用許諾のように「こういう場合は良いけどこういう場合はダメ」のようなややこしい問題は生じません。
著作権の放棄のデメリット
「切り抜きはOKにしたいけど、海賊版グッズで商売するのはやめてほしい」
…のような、方法ごとに異なる取り扱いはできません。
(元)著作権者がその著作物について主張できることは何もなくなります。
誰もが自由に利用できるのだから、ライセンス契約により利益を得ることもできません。
(無償で利用できるのに、わざわざお金を払う人なんていませんよね?)
もっとも、その作品を使ってもらえることで宣伝効果はあります。
「その作品」から直接的な利益を得ることはできないけど、広告として他の作品の売上を増大してくれる、という間接的な利益があります。
方法3 包括的な利用許諾
ここでまた、利用許諾が出てきます。
利用許諾は不特定多数に対して出すことができます。
また、著作権者は、自由に利用許諾の範囲・条件を決めることができます。
不特定多数に対して画一的な範囲・条件で利用許諾を出したい場合には、利用許諾の範囲・条件をまとめて利用規約とすることができます。
著作権者は、一度
「以下の条件に従った利用であれば、許諾します」
と利用規約を策定・公開してしまえば、その後は何をしないでも、利用規約の範囲内でのすべての利用に対して、自動的に許諾を与えることができるのです。
この方法は、事務所にとって便利であるだけでなく、私たち利用者にとってもメリットがあります。
個別に許諾の申請をしなくて良いので楽ですし、予め基準がわかっているので、「せっかく作ったのにNGだった…」という悲しい事態を避けることができます。
法学部生や法律に興味のある方向けの法律論です。
利用許諾の法的性質が問題になります
「利用規約を公開するだけで、不特定の相手に対して利用規約を出すことができる」
という説明は、厳密には『相手方のない単独行為』による利用許諾も可能である、という立場に基づきます。
何故ならば、もし利用許諾が契約であれば、「利用規約を公開すること」に加えて「利用者が承諾すること」が必須であるからです。
(契約は、申込みと承諾によって当事者両方の意思表示が合致しないと成立しません。)
そのことを踏まえて、利用規約の中に
「自分の著作物を使用した時点で、利用規約に同意したものとみなします」
と定めておく例もあります。
↓の +【参考】他のV事務所はどうだろう?のなかで紹介する、にじさんじ・ななしいんく・RIOT MUSICのガイドラインはそのパターンです。
たとえば、利用規約に
「著作権法上認められる引用であっても、行ってはいけません」
という条項があったとします。
利用規約に同意したものとみなされると、これが著作権者と利用者の契約内容になります。
ですので、利用者が引用を行った場合、それが著作権法上は認められる引用であったとしても、契約違反だという理由で損害賠償を請求できます。
(著作権法上の規定を契約で上書き(オーバーライド)するため、「オーバーライド規約」と呼ばれます。)
このように、契約が成立すれば利用者に対して著作権法よりも厳しい義務を負わせることができます。
著作権者としては、そのような内容の利用許諾契約を成立させたいところです。
著作権者にとって有利な規約を定めておいて、「コンテンツを利用した時点で規約に同意したとみなします」と書いておいた場合。
「みなします」という規定に効果があるならば、コンテンツを利用する人全員に自分にとって不利な規約も全て受け入れて「契約」することを実質的に強制できます。
そのため、著作権者にとってはとても便利な方法です。
さらに進んで、「俺は同意したつもりがない!」という言い訳をさせないテクニックとして、
- シュリンクラップ契約
- 「包装(シュリンクラップ)を破った時点で契約に同意したとみなします」とパッケージに書いておく
- クリックオン契約
- 「利用規約に同意します」をクリックしないとコンテンツが表示されない
…のように、外形的に同意を示すアクションを行わないと物理的にコンテンツを利用できないようにしておく、という方法があります。
(個人的には、推しを人質に取られた踏み絵…なんていう不謹慎な表現が思い浮かびました。)
さて、著作権法は、ある利用行為について、
「著作権で保護するのと自由に行うことができるのと、どっちが社会における表現の増加に効果的か?」
…と考えて定めています。
著作権法を作る際に、国会が「これは自由としておいたほうが効果的だ」と判断して与えた「自由」を奪って良いのでしょうか?
「自由」を奪われる利用者自身が同意して、自ら「自由」を放棄しているのだから構わない、というのが一つの考え方です。
一方、国の政策判断であるから当事者に変更させるべきではない、という考え方もあります。
こちらの考え方は、オーバーライド規約は『公序良俗』(のうちの主に公序)に反する契約だから無効だ、とします。
過去、こちらの考え方を支持する人から、『公序良俗』という民法の一般条項をアテにするのではなく、著作権法のなかにちゃんと「オーバーライド規約は無効だ」という条文を盛り込むべきだ、という提言があり、委員会内で議論されたことがあります。
ですが、その議論は
- 全てのオーバーライド規約を一律に無効とすべきではなく、規約の対象・内容ごとに有効・無効を判断するべきだ
- そのため、一律に無効とする条文を作るべきではない
- 今後、様々な事例が集積するのを待って類型化して検討しよう
…というあたりで着地したそうです。
なお、「同意したのだから構わない」理論を採用するにしても、限界があるのではないか?という意見があります。
「利用規約に同意したとみなす」条項やシュリンクラップ契約・クリックオン契約は、利用者が心の底から同意しているとは言えないような場合でも「形式的には」契約に同意しなければなりません。
これら全てを「同意したのだから構わない」理論で片付けて良いのか、同意と言いつつ実質的には強制ではないか、という意見です。
著作権に関してはシュリンクラップ契約・クリックオン契約自体を無効とするべきだ、という考え方もありますが、これは少数派なようです。
一律に無効とするのではなく、それによって結ばれるオーバーライド規約の内容も考慮して有効か無効か判断するべきだ、という考え方が据わりが良いように思います。
(以上、松田俊治「著作権の利用許諾をめぐる問題点」牧野利秋『知的財産法の理論と実務4』(新日本法規、2007 年)参照。)
学説の状況
利用許諾の法的性質は、
(ア) 契約
(イ①)相手方のある単独行為
(イ②)相手方のない単独行為
の3パターンが考えられます。
学説上は、「利用許諾は契約で行われる」とのみ説明する立場(単独行為による利用許諾を否定する趣旨であるかは明らかではない)が多く、近時は「利用許諾は契約によって行われるが、単独行為による利用許諾も認められる場合がある」とする立場も有力であるようです。
我が国においては、利用許諾の成立について単独行為と契約の両者を認める説が近時は有力であり~(略)~
『著作権ライセンス保護の法的基礎 -ドイツ法の近時の判例及び歴史的展開に着目して-』志賀 典之,2018
●単独行為説を承認するもの
・松田俊治「著作権の利用許諾をめぐる問題点」牧野利秋『知的財産法の理論と実務4』(新日本法規、2007 年)163 頁
・島並=上野=横山・前掲注1)216 頁
・中山・前掲 注1)426 頁
●契約により成立すると述べるものとして、
・半田正夫『著作権法概説〔第 16 版〕』(法学書院、2015 年)217 頁
・斉藤・前掲注 11)307 頁
・作花・前掲注1)434 頁
ただし、いずれも単独行為による成立を否定する趣旨かどうかは明示されていない。
『著作権法コンメンタール<改訂版>Ⅰ 』小倉秀夫 金井重彦 P503は、
(1)63条の条文は許諾の相手方の意思表示を成立要件としていないから、単独行為と見るべきである
(2)クリエイティブ・コモンズのような不特定に対する利用許諾も認められる
(3)許諾は「他人に対し」行うと規定されているから『相手方のある単独行為』と解するべきである
(4)したがって、利用許諾の意思表示が到達する前に行った利用は著作権侵害である
…という立場を採り、契約構成を否定します。
条文の素直な見方としては説得力があります。
しかし、(2)でクリエイティブ・コモンズのような許諾を認めつつ、(3)で『相手方のある単独行為』に限定することに難しさがあるように思います。
(下で説明します。)
上で挙げた
「利用許諾は契約によって行われるが、単独行為による利用許諾も認められる場合がある」とする立場
には、
・(ア) 契約が原則的な形態であって、(イ) 単独行為による許諾は「認める必要があり支障がない」から例外的に認める、という立場
・(イ) 著作権者の意思のみによって許諾は成立するが、(ア) 実際にはその意思は契約のなかで(契約上の意思表示と同時に)表示される、という立場
…の2つが考えられそうです。
・中山『著作権法』は前者の発想のように見受けられます。
・島並ほか『著作権法入門』は「利用許諾は権利者の意思表示によってその効力が発生する」(第4版 P.252)としており、後者のように読めます。
・松田俊治「著作権の利用許諾をめぐる問題点」牧野利秋『知的財産法の理論と実務4』(新日本法規,2007)P.164は「単独行為による利用権の成立も一定の場合には認められると解することが妥当なのではないだろうか」と、前者の立場です。
利用許諾に法的効果が生じる根拠という視点で見ると、前者は「合意」を原則としつつ例外的に「著作権者の意思」のみでも根拠たり得ると認める点で二元説、後者は実質的には単独行為一元説に近いと評価できそうです。
この3パターンのどれにあたるかによって、
(ⅰ)なぜ両者は利用許諾の内容に拘束されるのか
(ⅱ)いつ利用許諾の効力が発生するか
(ⅲ)利用許諾の条件を変更したり利用許諾を撤回するにはどうすれば良いか
…の考え方が変わるはずです。
利用許諾の撤回について、契約説と単独行為説それぞれの考え方については、
【Part 1】3ページ目【問5】
+応用【参考】運営は許諾を撤回してるんだから、「許諾なし」じゃない?
をご参照ください。
また、契約説と単独行為説の違いがもっとも表れるのは、二次創作ガイドラインやクリエイティブ・コモンズ宣言(以下、CCマーク)のように、著作権者が不特定の(将来の)利用者に対して一方的に利用許諾する場面です。
ですので、
(ⅳ)不特定に対する一方的な利用許諾の扱い
についても検討する必要があります。
なお、この議論は、物権変動についての物権行為・債権行為の峻別論に似た面もありますが、完全にパラレルに考えることもできないような気がします。
以下、少し検討してみましょう。
(ア) 契約説
(ⅰ)拘束力の根拠となる原理
著作権者が利用許諾の範囲内の利用に対して権利行使できないのも、利用者が利用許諾の条件に従わないといけないのも、すべて「当事者がそう合意したから」(契約自由の原則)です。
(もちろん、その前提には「著作権は著作権者が自由に処分できる」ことがあります。)
ここでの合意の内容は「利用者は利用条件に従った利用をする義務を負い、著作権者はこの義務が守られる限り権利行使をしない」ことでしょう。
拘束力の根拠が契約自由の原則であるならば、利用許諾について定めた63条は単なる確認規定ということになります。
(ⅱ)効力発生要件
利用許諾の効力が発生するのは、合意、すなわち利用許諾契約の効力が発生したときです。
具体的には、効力発生に停止条件が付けられていない限り(民法127条1項)、承諾の意思表示がされたとき(同522,527条)です。
利用者の意思表示が利用許諾の成立要件となります。
(ⅲ)変更の要件
契約の内容は合意によらないと変更できないのが原則ですから、著作権者が一方的に変更することはできません。
もし一方的に変更できるとしたら、契約のなかにあらかじめ「一方的に変更できる」という合意があるか、特別の外在的な事情がある場合です。
前者の場合は、結局は「両当事者の合意」が根拠になっています。
なお、利用条件を定めた規約を「定型約款」と解すれば、合理的な範囲での不利益変更が認められる余地があります(民法548条の4)。
ただし、オンライン上のライセンス契約において、常に定型約款の効力が認められるとは考えられていません。
「同意します」のクリック等の明示的なアクションが必要であるという考えが有力です(「(※PDF)電子商取引及び情報財取引等に関する準則」経済産業省はこの立場です)。
本稿では、定型約款としての効力はない場合を前提として検討します。
(ⅳ)不特定に対する一方的な利用許諾
利用規約の提示を「利用許諾契約の申し込み」と捉えることになります。
申し込みの誘引と捉えられないか、という問題があります。
著作権者からは、利用規約の提示より後には特段の意思表示が行われませんので、利用規約の提示を「申し込み」と捉えておかないと、契約が成立しません。
一方、利用者から「承諾」の明示的な意思表示がされることはありません。
ですから、利用者の利用行為をもって「利用許諾契約の黙示の承諾の意思表示」と捉えることになりそうです。
(イ) 単独行為説
(ⅰ)拘束力の根拠となる原理
利用者が利用条件に拘束されるのも、著作権者が利用許諾の範囲内の利用に対して権利行使できないのも、著作権法が「利用許諾」という制度をそうデザインしたからです。
そして、そのようなデザインにしたのは「著作権者は著作権を自由に処分できる」という制度だからと言えます。
利用許諾によって、対象者に「その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる」法的地位が生まれます。
言い換えると、利用許諾の効果の根拠は「著作権者が、自分の持つ権利の自由な処分の一環として、上記のような法的地位を創出したから」ということになります。
(ⅱ)効力発生要件
利用許諾の効力が発生するのは、
(イ①)相手方のある単独行為説…著作権者が意思表示を発信し、それが利用者に到達したとき(民法97条1項)
(イ②)相手方のない単独行為説…著作権者が意思表示を発信したとき
です。
(ⅲ)変更の要件
相手方との合意が要件である必然性はありません。
ただし、多くの「相手方のある単独行為」は、相手方の法的地位の安定のために撤回が制限されています。
利用許諾についても同じことが言えるでしょう。
「相手方のない単独行為」についても、対世的な・あるいは関係する人の法的地位を安定させるために撤回が制限される場合があります(相続の放棄・承認)。
裏を返すと、このような法的地位の安定のための要請がなければ、著作権者が自由に条件を変更しても問題ないはずです。
(ⅳ)不特定に対する一方的な利用許諾
通常の利用許諾と異なるところはありません。
どちらを採用すべきか?私の印象
以下の部分は、私がなんとなく抱いた印象に過ぎないことをご承知おきください。
(ア) 契約説か、(イ) 単独行為説か
・ガイドラインやCCマークに、許諾としての法的効果を認めるべきである
まず、二次創作ガイドラインやCCマークのような不特定に対する一方的な利用許諾にも、著作権法上の利用許諾の認めるべきであると考えます。
著作権法の目的である表現の豊富化にも資するし、「そのような許諾を認めない」として著作権者の権利を制限することを正当化できる理由はないと考えられるからです。
松田前掲P.163は、上のガイドライン・CCマークの他にも
・サブライセンス契約(著作権者がAに利用許諾を出し、AがさらにBに利用許諾を出す契約)
たとえば、ろるあママとRK Musicの契約が利用許諾であった場合、RK MusicがCyberZ社にVTuberチップスでのイラストの利用許諾を出す契約はサブライセンス契約です
・掲示板のスレッドのように不特定多数が著作物(スレッド)の創作に関わるが、その利用許諾について合意を形成するのが難しい場合
…には著作権者との契約によって説明することが難しく、単独行為による利用許諾を検討する意義があると指摘します。
・ガイドラインやCCマークの法的な効果を基礎づけるもの
「著作権者自身の権利処分」が本質で、利用者の意志は重要ではない
では、ガイドラインやCCマークに効果が認められるのは「著作権者と利用者が合意したから」でしょうか?
私は、法的効果が生じる根拠は、著作権者自身の自由な権利処分であることにあり、利用者の承諾は本質的な要素でないように思えます。
裁判例もこの考え方に近い
裁判例には、利用規約違反が争われた事例で「規約を利用者が承諾」したかについて言及・検討しないものがあります(「兎田ぺこら事件」もその例です)。
もし裁判所が契約説を採るならば、たとえ実質的に争点とならないにしても、抗弁事実として「利用者の承諾」を認定する必要があるはずです(否認・自白等の前段階の別問題です)。
また、利用許諾が契約であるか単独行為であるか争われた裁判では
楽曲利用者は,本件では,JASRACの単独行為である許諾の意思表示の有無が問題であるなどとも主張する。
知財高判平成28年10月19日(平成28(ネ)10041)
しかし,JASRACによるJASRAC管理著作物の利用許諾は,無条件ではなく,許諾を受けた者は少なくとも使用料を支払う義務を負うのであるから,JASRACによる利用許諾は,楽曲利用者との間の双務契約によりされるものである。
よって,JASRACの利用許諾の成立には双方の意思の合致を要する。
と判示されています。
(原審である東京地判平成28年3月25日 平成25年(ワ)28794)でも同様に判示されています。)
「利用許諾は単独行為ではない」とはせず
「JASRACの楽曲利用許諾は楽曲利用者に使用料支払いの義務を課すものだから契約である」
と認定しています。
裏を返せば、利用者に義務を課さない利用許諾であれば単独行為となる余地もある、と考えているのではないでしょうか。
相手方が特定されているケースの裁判例ですが、「少年アシベ」事件(東京高判平成13年7月12日 平成12(ネ)3758)では、明示の利用許諾契約がない場合に63条の適用が認められるかについて、
本件において次の問題となるのは,本件楽曲につき,補助参加人が,被控訴人に対し,本件支払金以外の対価を支払うことなく複製することを許諾する旨の黙示の意思表示をしたと認めることができるかどうか~(略)~である
…と、「合意」ではなく「著作権者の許諾の意思表示」を問題にしており、また
付言するに,本件紛争の根本の原因は,補助参加人と被控訴人との間で複製許諾に関する明確な意思表示ないし合意がされなかったことに求められる。
…と判示していることから、単独行為による利用許諾も成立しうる(少なくとも排斥しない)という考え方を採っていると思われます。
他にも、下の + 【参考】このことを明言した裁判例―「キャロル・ラストライブ」事件 で詳しく解説するこの裁判では、
- 「利用方法及び条件」には,例えば,文庫本としての出版とかカセットテープへの録音等の利用形態も含まれる
- 「利用方法及び条件」は著作権者が一方的に付することができるものである
- 許諾によって得られる利用の範囲は,取引慣習や社会通念等を前提にして,著作権者の許諾の意思表示を合理的に解釈して判断すべきである
- 利用許諾契約の当時、A氏はDVD化まで想定していなかったと解釈するのが合理的である
…と判示しています。
「合意」ではなく「著作権者の意思表示」を解釈することで利用許諾の「方法および条件」が確定すると考えている点は、単独行為説の考えに親和的です。
以上のことから、二次創作ガイドラインやCCマークに法的効果を認める以上、利用許諾を(ア) 契約の原理で捉えるより、(イ) 単独行為の原理で捉えるほうが適切であるように思います。
・利用許諾に関する規定の仕方
このことは、63条以下の利用許諾にかかる著作権法の規定が、利用者の意思や合意を問題としていないことにも整合的です。
一般的に、利用許諾は「権利者が利用者に対象物について一定の利用行為を認める」という点で有償の場合は賃貸借契約、無償の場合は使用貸借契約に似たものとして捉えられることが多いです。
しかし、利用許諾に関する規定の仕方は、賃貸借・使用貸借「契約」よりも物権(特に用益物権)に近いように感じます。
さらに言うと、「著作権者は~許諾することができる」と定める63条1項は、物権の得喪および変更について「当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる」と定める民法よりも、さらに「権利者の処分」に集中的にフォーカスしていると言えそうです。
松田前掲P.164は、賃貸借・使用貸借は借主が不動産の返還という義務を負うのに対して、利用許諾は利用者が何の義務も負わない場合がある、として、賃貸借・使用貸借「契約」との質的な差を指摘します。
・契約説の不都合な点―利用許諾に従っても「著作権侵害」?
契約説を徹底すると、利用許諾は単に「著作権者が著作権に基づく差止め・損害賠償請求権を行使しない旨の合意」ということになりそうです。
ところで、差止め・損害賠償請求権の発生は「著作権侵害であること」を前提とします。
上の合意を言い換えると「著作権侵害であり著作権者には請求権が発生するけれども、それを行使しない」ということになります。
しかし、利用許諾にもとづく利用を法的に「著作権侵害」と評価することは不当であるように思えます。
著作権侵害は民事上の責任のみならず刑事罰の対象となります。
上の「権利不行使の合意」のなかに告訴権の不行使が含まれていると解しても、告訴は手続上の処罰条件であり実体的な違法性に影響しません(「多様な刑事訴追の形態とその中での親告罪制度の現代的意義と限界」黒澤 睦,刑法雑誌59巻参照。最判 令和2年3月10日(平成30(あ)1757)もこの立場に立つものと思われる。)。
たとえ告訴権の不行使の合意があったとしても、刑事実体法上は違法な行為という評価を受けることになります。
ですが、著作権法上適法な引用の場合には刑事実体法上も違法な行為とは扱われないのに対して、著作権法に基づく利用許諾がある利用行為を違法な行為と扱うのは、バランスを損なっているように思います。
著作権法上適法な引用は、著作権者に不利益を無理やり受け入れさせるものです。
一方、利用許諾がある場合には、著作権者には不利益が存在していない(か、自ら不利益を受け入れている)状態です。
どちらが他人の利益を侵害しているかという視点では、後者のほうがマシな状態でしょう。
したがって、利用許諾によって「単なる契約当事者間の債権債務」ではなく民事実体法・刑事実体法上の評価として「適法に著作物を利用できる法的地位」が生じていると考えるべきであると思います。
63条2項が「その許諾に係る著作物を利用することができる」と改めて規定し、63条3項および63条の2がこれを「利用権」と呼称し、その譲渡・対抗について定めている趣旨は、この点にあると考えます。
(なお、商標権については利用許諾契約と禁止権不行使契約が区別して扱われますが、これは商標法固有の事情に基づくものであり、上記の考えとは別次元の問題です。)
契約説では説明できない?
下で説明する通り「利用許諾契約に違反しても、著作権侵害とはならず、単に債務不履行になるに留まる場合がある」と一般的に理解されています。
しかし、当事者の合意こそが利用許諾の正当化原理であるという立場からは「どんな場合に・なぜ合意に反しても著作権侵害にならない場合があるか」の説明は難しいように思います。
(合意を債権的合意と準物権的合意に分けることになるかと思いますが、その準物権的合意のみが著作権法上の効果を持つことは、結局は著作権の準物権的な権利性とその権利者である著作権者の自由な権利処分意思によってのみ基礎づけられるのではないでしょうか。)
また、令和2年に新設された著作権法63条の2では、利用許諾によって生じた利用権は第三者に当然対抗できると定めています。
このことは、当事者の合意を根拠とする契約原理からは当然には説明できません。
結論―単独行為説が適切
以上の諸点から、私は
①契約によっては説明できないが利用許諾を認めるべき場合があり、
②利用許諾の規定・効果を説明する本質的な理由は「権利者による自由な処分」にこそある
ため、(ア) 契約説ではなく(イ) 単独行為説のほうが適切であると考えます。
私が上に挙げた理由のほかに、松田前掲P.164は、ライセンス契約において契約書を残さないことが多いという実態があり、そのような場合にもっぱら著作権者の態様に着目して利用許諾の成立を認める余地を残しておくことが実務の要請にも合致することを挙げています。
(イ①)相手方のある単独行為か、(イ②)相手方のない単独行為か
正当化原理との関係
上のように考えると、「著作権者の許諾の意思表示が利用者に届いたか」は必然的に重要な要素ではなく、「著作権者が許諾をするという意思を持って、それを外形的に表示したか」の点が重要であるということになりそうです。
著作権者の権利の処分・すなわち利用許諾において、利用者が重要な位置を占めるのは、利用許諾が特定の相手に対するものである場合です。
そのような場合には「相手方のある単独行為」と解しても不都合はないでしょう。
しかし、不特定の相手に対する利用許諾においてまで「相手方のある単独行為」と解して許諾の到達を効力発生要件とする必要性はありません。
むしろ「著作権者の意思に関係ない事情で、処分の効力の発生を制限する」ことは、著作権者の権利の自由な処分に対する不必要な制限であると言えそうです。
不特定に対する一方的な利用許諾を認めるのであれば、その意思表示のみによって効果を生じると考えるほうが直截的ではないでしょうか。
「相手方のある単独行為」説の不都合
不特定の相手に対する利用許諾も「相手方のある単独行為」であるとすると、
・著作権者が利用許諾を出したが、それが利用者に届く前に、利用者が利用条件に適合した利用行為をした
・著作権者が利用規約を定めて公表しているが、利用者はそれを知らず、利用条件に適合した利用行為をした
…といった場合は必ず「著作権侵害」と評価することになります。
著作権者がそう望んでいる(利用行為時に利用条件を読んでいなかった者に対しては民事上の請求や刑事告訴をする意思がある)のであればその結論は妥当であると思いますが(いわば、利用条件のなかに「利用条件を読んでからでないと利用を許諾しない」と書いてあるのと同じです。)、そうでない場合にまでこれを違法と評価するのが果たして妥当か、疑問が残ります。
結論
以上により、少なくともガイドラインやCCマークのような不特定の相手に対する利用許諾は「相手方のない単独行為」であると捉えるべきであると考えます。
ガイドラインやCCマークは「相手のない単独行為」だが、特定の相手に対する利用許諾は「相手のある単独行為」だ、と2通りのパターンを認めることには理論上の支障はないと思います。
(「○○は契約だが●●は単独行為だ」という共存は、それぞれ正当化原理が異なるため1つの制度の理解として不適当であるような気がします。)
しかし、もしどちらかで統一的に理解すべきだということであれば、ガイドラインやCCマークのケースについても適切に評価・取り扱いのできる(イ②)相手方のない単独行為説 が適切 であると考えます。
著作権者にとって、許諾の条件や範囲を定めることができる点が、著作権の放棄と比べて便利です。
ファンアート的な二次創作の効果を甘受しつつ、「海賊版グッズ」のように著作権者のビジネスの妨げになるものを防ぐことができます。
ただし、黙認のように、完全に事例ごとに著作権を行使するかどうか決めることはできません。
自分があらかじめ定めた規約の内容に拘束されます。
(規約違反を「お目こぼし」することはできますが、たとえ気に入らない利用であっても利用規約に合致している以上、許容しなければなりません。)
利用者にとって、あらかじめ利用規約が明示されることによって、「規約に従っている限り差止めや損害賠償を請求されることはない」という『安全ゾーン』を手に入れることができます。
この点で、「どの利用も、いつ著作権者の気分次第で権利行使されてしまうかわからない」黙認・許諾より便利です。
ただし、著作権が放棄された場合はどんな利用もできるのに対して、この場合は『安全ゾーン』が限定されるので少し窮屈な思いをすることになるかもしれません。
RK Musicの『二次創作ガイドライン』は利用許諾か?
RK Musicの定める二次創作ガイドラインは、方法3で説明したような、著作権上の利用規約による包括的な利用許諾でしょうか?
ガイドラインを読んでみよう
ガイドラインを読んでみても、どこにも「利用を許諾する」という言葉が出てきません。
(他の事務所のガイドラインには「利用を許諾する」と書いているものもあります。
下の +【参考】他のV事務所はどうだろう? で、各社のガイドラインを比較検討しています。)
ですので、ガイドラインの中身を読み解いて、RK Musicが「このガイドラインを守った利用行為に自動で利用許諾を出す」というつもりで書いているのかを解釈する必要があります。
ガイドラインの中から関連する部分をピックアップしました。
利用許諾かどうか、読み取れそうな条項
~(略)~「本ガイドライン」~(略)~は、①株式会社RK Music~(略)~または当事務所所属タレント自身が権利を有するコンテンツについて、②二次的著作物制作者が利用できる範囲及びその条件を定めたものです。
本ガイドラインの範囲内にて創出され、公に発表された二次的著作物に対して、③当社は権利主張を行わない方針です。~(略)~
禁止事項に抵触、あるいはその疑いがある二次的著作物は、④著作権侵害行為の対象として何らかの対処を行う場合があります。
本ガイドラインがすべて遵守されていれば、⑤権利元(当社)へ二次創作活動の可否に関する問い合わせは不要とします。
ガイドラインを解釈しよう
上の①~⑤でわかることを整理します。
(ⅰ)このガイドラインは、RK Musicまたは所属タレントの著作権に基づき定めている(①)
(ⅱ)このガイドラインは、RK Musicまたは所属タレントが著作権を持つコンテンツを、二次創作制作者が利用できる範囲・条件を定めている(②)
(ⅲ)上の範囲・条件内の利用に対しては「権利主張」を行わないが(③)、範囲・条件外の利用に対しては著作権侵害行為として対処を行う場合がある(④)
(ⅳ)上の範囲・条件内の利用にあたっては、個別にRK Musicへ利用の可否について問い合わせる必要はない(⑤)
(ⅰ)~(ⅲ)により、このガイドラインはRK Musicが著作権侵害として権利行使をしない範囲・条件を定めていることがわかります。
「著作権侵害として権利行使を受けないこと」は、利用許諾の効果そのものです。
そして、重要なのが(ⅳ)です。
「⑤二次創作活動の可否について問い合わせ」とは「使ってもいいですか?」と聞くこと、すなわち個別に利用許諾を得ることでしょう。
二次創作者は、個別の利用許諾手続を取らないでも、利用行為に際してガイドラインの範囲・条件を守ってさえいれば利用許諾の効果を手に入れることができるというわけです。
RK Musicの側から言い換えると、(ⅳ)の規定を予め用意しておくことによって、ガイドラインの範囲内であることを条件に、自動的に、二次創作者に対して利用許諾の効果を与えています。
これはまさに、利用規約による利用許諾の作用です。
まとめると、
- RK Musicの『二次創作ガイドライン』は不特定多数に対する著作権法上の利用許諾である
- 『二次創作ガイドライン』に定められている禁止事項は、利用許諾の範囲を定めている
ということになります。
メジャーどころのガイドラインを紹介します。
「(利用を)許諾する」と明確に書いているか、という点に着目しながら読んでください。
●ホロライブ(現在)
二次創作に該当し、全般ガイドラインを遵守しているものであれば、皆様の創作活動について、当社より権利行使をすることはございません。
全般ガイドラインを遵守しているものであれば、当社コンテンツの二次創作に際し、当社に対する個別のお問い合わせは不要です。
お願い
二次創作にあたっては、下記の事項を遵守していただくようお願いいたします。
・(略)
以上、すべてホロライブ公式サイト内「二次創作ガイドライン」より引用。
パターン
・ガイドライン範囲内であれば権利行使をしない
・ガイドライン範囲内であれば個別の問い合わせは不要
・個々の条項を列挙
…という、RK Musicと同じパターンですね。
特徴
・遵守しているものには「権利行使をすることはございません」と言い切っている
(良いなぁ…)
・条件を「お願い」と柔らかく表現している
・「違反に対して著作権を行使する可能性がある」と直接的には書いていない
…など、全体的に耳障り良く(読む人を刺激しないように)配慮して書かれていると感じます。
●ホロライブ(過去)
ホロライブの昔のガイドラインは、かなり違うものだったみたいです。
残念ながら全文の記録が残っていないので、「兎田ぺこら事件」裁判例に出てくる部分を抽出しました。
控訴人(カバー株式会社)が権利を保有するキャラクターの二次的創作物の作成等に関しては~(略)~当該キャラクターの名誉ないし品位を傷つける行為をしないことなどを条件として、非独占的に許諾することとされている(4条1項及び2項)。
二次的創作ライセンス規約~(略)~に基づいて、第三者に対し、原告(カバー株式会社)が著作権を有するキャラクターのイラスト等の利用許諾をしているところ、同利用許諾の条件として、「本キャラクターの名誉・品位」を「傷つける行為をしないこと」(本件規約第4条2項⑵)及び「暴力的な表現」「のため利用しないこと」を掲げている(同項⑶)。
東京地判令和5年1月31日(令和4(ワ)21198
原告は、インターネット上において、本件規約を公表し、原告が著作権を有する著作物を使用して二次的創作をすることを一般に許諾するとともに、その利用許諾の条件として、「公序良俗に反する行為や目的、暴力的な表現、反社会的な行為や目的、特定の信条や宗教、政治的発言のために利用しないこと」(本件規約4条2項⑶)を定めている
東京地判令和5年1月31日(令和4(ワ)21198
パターン
明確に「許諾する」と書いてありますね。
個々の条項は利用許諾の「条件」とされていたようです。
特徴
実務上、利用許諾契約のことをライセンス契約と言います。
「二次的創作ライセンス規約」というタイトル自体から「利用許諾契約の規約」であることが明確にわかります。
そのため、兎田ぺこら事件においても、この規約が著作権法上の利用許諾であると当然に認定されました。
それに対して「ガイドライン」という言葉は、それが法的にどういう位置付けなのか曖昧です。
なぜホロライブは、このような規約から「二次創作ガイドライン」に変更したのでしょうか?
この注の最後に簡単な考察を書きます。
●にじさんじ
第3条(総則)
1. 本コンテンツの二次創作作品を公開するためには、あらかじめ本ガイドラインのすべてをお読みいただき、本ガイドラインに同意いただく必要がございます
~(略)~
3. みなさまが本コンテンツの二次創作作品を公開した時点で、本ガイドラインの内容のすべてに同意をしていただいたものとみなします。
4. 本ガイドラインの内容に沿う形であれば、本コンテンツの二次創作作品の公開についての当社への申請や連絡は不要です。~(略)~
第4条(利用条件)
~(略)~
4. 次のような表現内容の作品は、公開することはできません。
(1)本ガイドラインや個別に当社が定める規約、本コンテンツの趣旨及び目的に反するもの
~(略)~
以上、すべてANYCOLOR公式サイト内「ANYCOLOR二次創作ガイドライン」より引用。
パターン
・ガイドライン範囲外のものは公開できない
・ガイドライン範囲内であれば申請は不要
・個々の条項
…といった構造は、RK Music、ホロライブ(現在)と共通ですね
特徴
・二次創作をするにあたってガイドラインへの同意が必須(公開した時点で同意したものとみなす)という規定は、この規約について利用許諾契約が成立していると確定させるためのものです。
・「著作権を行使する/しない」ではなく「公開できません」という書き方は、一見わかりやすいですが、不正確ですね。
●ななしいんく
利用者は本タレントを利用することによって、本規約の内容に全て同意したものとみなします。
第3条(利用許諾・利用条件)
1.当社は、利用者に対し、本コンテンツについて、本規約の各条項に従い、利用者自身による以下の行為を非独占的に許諾するものとします。
(1) 本コンテンツの二次創作物を作成すること。
~(略)~
第4条(禁止行為)
利用者は、本コンテンツの利用にあたり~(略)~以下の各号のいずれかに該当する行為をしてはなりません。
~(略)~
(6) 本規約及び個別利用規約並びに本サービスの趣旨・目的に反する行為
第5条(ライセンスの終了)
1.利用者が本規約に違反した場合、当該利用者に付与された利用許諾は自動的に終了します。
~(略)~
3.前二項に関わらず、当社は、いつでも、本ライセンスを停止または終了させることができます。このときより第3条第1項に基づく新たな利用は許諾されません。
以上、すべてななしいんく公式サイト内「774INC. GUIDELINE」より引用。
パターン
明確に「許諾する」と書いてあります。
特徴
・にじさんじと同様、契約の成立を確定させるための条項が入っています。
・利用者が一度でも利用規約に違反した時点で、その利用者に対する全ての利用許諾が終了するというのは、なかなか強烈ですね。
●神椿スタジオ
本ガイドラインに定める条件を守っていただくことで、一定の条件のもと、対象コンテンツを二次創作のために利用し、また二次創作作品を公開、販売等することができます。
利用条件
~(略)~
② 二次創作作品の公開に関するお願い
~(略)~
2. 以下の表現・内容の二次創作作品の公開はお控えください。
~(略)~
以上、KAMITSUBAKI STUDIO公式サイト「GUIDELINES」より引用。
パターン
・ガイドライン内であれば二次創作できる
・個別の条項
…のみを規定している。
・ガイドライン内であれば個別の利用許諾が不要である
・ガイドライン内であれば著作権を行使しない
…といった規定なし。
特徴
・全体を通じて「幸福な信頼関係」を信じて、細かいこと・保険を掛けるようなことは言わない!というポリシーを感じます。
法務の目線で言えばリスクがありますが、「リスクを取ってでも、まずは運営からファンに対する信頼を示して、信頼関係の継続にコミットしていく」という姿勢はとても尊いと感じます。
私たちKAMITSUBAKI STUDIOは、ファンの皆様とアーティスト、そして私たち運営サイドが互いを尊重し、それぞれが創造性を発揮することで新たなクリエイティブが生まれていくという「サイクル」によって支えられてきました。
KAMITSUBAKI STUDIO公式サイト「GUIDELINES」
バーチャル世界のエンターテイメントをより発展させていく為には、コンテンツの発信者とファンの皆様が、これからもそんな幸福な信頼関係で結ばれていくことが最も大切なことであると考えています。
この度、KAMITSUBAKI STUDIOを支持してくださる方々が安心して二次創作活動を楽しんでいただけるよう、ガイドラインを改めさせていただきました。
本ガイドラインが、バーチャル世界におけるクリエイティブの地平を広げる一助となれば幸いです。
全てのクリエイターの方々の活動に敬意を表し、二次創作文化の発展に貢献します。
二次創作という文化への愛、
ファンとの相互作用という(とくに推し活で良く見られる)シーンへのリスペクト、
そして自身が(商業のみならず)それらの文化の発展にも寄与していくという自負と宣言。
こういうのが、「ただの商売音楽屋」ではなく「アーティスト」だよなぁ。
そういう事務所ばかりになれば良いなと思います。
●RIOT MUSIC
1.基本ルール
本プロジェクトの二次創作作品の公開等を行う場合は、すべて本ガイドラインを了承しているものとみなします。
~(略)~
本ガイドラインの内容に沿っている場合は、本プロジェクトの二次創作作品の公開等を行う際に、当社へのお問い合わせや申請などの必要はございません。
~(略)~
本ガイドラインを遵守している場合は活動に問題ないものといたします。
4.利用許諾範囲
当社は、利用者に対し、本プロジェクトについて本ガイドラインの基準に従った範囲内での、非営利活動において、以下の行為を許諾します。
~(略)~
5.禁止行為
当社は、利用者に対し、本プロジェクトについて以下の行為を固く禁じます。
遵守頂けない場合は、当社より個別にご連絡を差し上げる場合がございます。
~(略)~
以上、RIOT MUSIC公式サイト内「二次創作ガイドライン」より引用。
パターン
明確に「許諾」と書いてありますね。
著作権法上の許諾であれば、
・ガイドライン内の利用に個別の申請は不要
・ガイドライン内の利用であれば「問題ない」(著作権を行使しない、の意味でしょう)
…のは当然であるので改めて規定する必要はないのですが、確認の意味を込めて書いているのでしょう。
特徴
・利用許諾契約の成立を確定させるための条項があります。
・著作権にもとづく差止め請求等を「当社より個別にご連絡」と言っているのは、柔らかく表現しようという努力を感じます。
そもそも、利用許諾の範囲外であれば著作権にもとづく請求を受け得るのは当然なので、実はあえてガイドライン内に規定する必要はありません。
(そのためホロライブのガイドラインには書いてありません。)
にも関わらず書くのは、ガイドラインの解釈をめぐって争われないよう確認のためか、あるいは威嚇のためです。
●まとめ
「許諾する」と明確に書いていないものが過半数を占めました。
しかし、どれも内容を読んでみると、著作権法上の利用許諾のつもりで書いているようです。
それはおそらく、多くのガイドラインの「はじめに」のところに書いてある事柄に起因すると思います。
「二次創作ありがとね、嬉しいよ。みんながもっと安心して二次創作できるように、ガイドラインを定めたよ」
みたいな内容です。
二次創作には宣伝効果やファンコミュニティを盛り上げる効果があります。
それでいて運営にとってはノーコストですから、増えてほしいと思っているはずです。
とはいえ、運営にとって「不適切」な二次創作を消すには、法的な根拠として利用規約を提示しておく必要がある。
この2者を両立するために「最大限二次創作者にネガティブな印象を与えないような書きっぷりで利用規約を公開する」という点に腐心した結果ではないでしょうか。
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