1章 「vesper」と「vesper bell」
2章 「vespebell」と『VESPERBELL』
┣0節 1章の復習・2章の予習
┣1節 「祈り」と『VESPERBELL』の世界観
┃┣0. この節でやること
┃┣1. VESPERBELL世界での「祈り」の種類
┃┣2.歌詞の中の関連ワード
┃┣3.『廻(めぐ)る』
┃┣4. 『記憶』
┃┣5. 『運命』・『光』
┃┗6. 1節のまとめ
┃
┗2節 「時間」か「鐘」か
(2章1節の続き)
4. 『記憶』
さて、『輪廻』について掘り下げることができた。
続いて、『輪廻』以外の 「何らかの運命的な力・人智を超えたもの」に関する言葉を掘り下げていこう。
まずは『記憶』だ。
「『記憶』辿り繋ぐ想い」
(RISE [1-B2])
「消えてった『光』溢れる『記憶』」
(RISE[2-S2])
『記憶』という言葉それ単体では、とくに宗教的・神秘的意味合いを持たない。
しかし、『廻る』の平行世界的な世界観と組み合わせると《パラレルワールドの記憶》という超越的な存在が想起される。
どこが”超越的”かというと、世界Aのヨミ、世界Bのヨミ、世界Cのヨミ…というそれぞれの世界ごとの一回限りの生を”超えて”繋がる記憶を認める点だ。
では、歌詞の中の『記憶』は、そのような《パラレルワールドの記憶》を指すのだろうか?
RISEの歌詞を、もっと具体的に見てみよう。
「がむしゃらになって挑めばもう誰一人阻めやしない 『記憶』辿り繋ぐ想い」
(RISE[2-B]
ここでの「想い」は、心が向かう明日・夢へ向かって駆け出す原動力となるもの、「違う私になる」と決意させるきっかけになるものだろう。
「流れる日々を同じ顔したワタシが笑ってきたけど 頭に声が響く『それじゃだめだよ?』って」
(RISE[1-A])
この声と「想い」はイコールだ。
これは誰の声なのだろう?
「頭に声が響く」とあるのだから、外の誰かに掛けられたものが耳を伝ってきたのではなく、自分の内から生じたものであるはずだ。
そして、「想い」は『記憶』を辿ることで繋がれるものだ。
とすれば、自分の内にある『記憶』によってもたらされるものであろう。
しかし、作中で「違う私になる」ことを決意させるような体験は描かれていない。
むしろ、「流れる日々を同じ顔したワタシが笑ってきた」という描写から、「違う私」とは縁遠いものであったはずだ。
ワタシが体験していないはずの、しかし自分のなかにある、「違う私になる」と決意させるきっかけとなるような『記憶』。
《パラレルワールドの記憶》の欠片が、魂を通じて別次元の自分から流入してきた。
「それじゃだめだよ?」と語るのは、平行世界の、あるいは平行世界のカスカを統合する高次元のカスカ自身だ。
そう考えると、矛盾なく理解できるのではないだろうか。
「嗚呼 消えてった光溢れる『記憶』 曇る世界でもきっときっときっと晴らすの」
(RISE[2-S2])
ここで「曇る世界でも〜晴らすの」は、対の構造となっている「夢を叶える」の比喩であろう。
「光溢れる『記憶』」を目指す、雲が行く手を阻む障害、「晴らす」とは障害を乗り越えること、という関係だ。
『記憶』が目指すべきものを示す、という点で、やはり上記の《パラレルワールドの記憶》という理解と整合する。
このように、『VESPERBELL』の世界では《パラレルワールドの記憶》という超越的なものが存在している。
ただし、極めて限定的なものだ。
すべての記憶が繋がっているわけではないし、当然に繋がっているわけでもない。
意識的に探ろうとしなければ、「それじゃだめだよ」とシグナルを発するのがせいぜいのところである。
…といったところでこの記事はおしまい。
(その⑦)に続く。
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