VESPERBELLオリジナル楽曲たちの関係(その③)

こんにちは、BELLSのひもです。


今週末にはもう…RAMPAGE…!!
クラファンから、長かったような早かったような。。
現地でお会いできるBELLSの皆さま、どうぞよろしくお願いします。

さて、この記事は

VESPERBELLオリジナル楽曲たちの関係(その②)
こんにちは、BELLSのひもです。この記事は、↑↑の続きです。未読の方は、その①からお読みいただけると分かりよいと思います。すでに読んでくださった方、ありがとうございます。引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです。2節 初期曲グループの内...

の続きです。
この③で「~オリジナル楽曲たちの関係」は一旦キリになります。

近日中に、その①~その③を要約した記事

「【ダイジェスト】VESPERBELLオリジナル楽曲たちの関係」

を作る予定です。
「長すぎて読む気がしないけど、ちょっとだけなら読んでやってもいい」
という方は、そちらを読んでいただけると嬉しいです。

それでは、よろしければお付き合いください。

3節 「Chapter.0」と「Chapter.1」は別世界

1. おさらい

1節、2節でわかったことをまとめよう。

① RISE~EX MACHINAの5曲のクレジットに「Story &Lyrics ハル」と書いてあるのは、
《この1曲の歌詞だけじゃ表現しきれない「Story(物語の大筋)」を、ハルさんが作ってるよ》
というメッセージだ。
この5曲を「初期曲」グループと括ろう。

②「初期曲」の「Story」はすべて同じ人が作っているから、共通する可能性が高い。

③「初期曲」のなかで、
「Chapter.0」: RISE・VERSUS
「Chapter.1」: ignition・Hurt・EX MACHINA
と章が分けられている。
わざわざ分けていることに何らかの意味があるだろう。

2. ここで出てくるクエスチョン

さて、次の問いが生まれる。

【Q1】同じ「Chapter」にあれば、同じストーリーか?

具体的に言うと、
・「Chapter.0」にあるRISEとVERSUSは、同じストーリーか?
・「Chapter.1」にあるignition・Hurt・EX MACHINAは、同じストーリーか?
ということだ。

【Q2】 違う「Chapter」にあれば、違うストーリーか?
もし違うなら、どんな関係だろう?

それぞれのQにAを出すには、
《それぞれの曲の「Story」を解明する》
のが手っ取り早い。それが楽曲考察の醍醐味でもある。

しかし、個別の楽曲の中身に立ち入り「Story」を解明する作業は誤解のリスクを伴う。
そこで、まずは「形式的にわかること」から外堀を埋めて、その後に楽曲の中身の解釈に移りたい。
退屈な作業だが、正解に辿り着くための「急がば回れ」としてお付き合いいただきたい。

3. 形式的にわかること

(1) RISEとVERSUS――「Chapter.0」の中

① MVのサムネイルを見てみよう

背景の色使い、ユニット名の表示スタイル、二人の左右… かなり共通点が多い

大きな違いは、二人の構図が

・RISE:向き合って並んでいる二人が、同じところ(斜め上)を見ている
・VERSUS:二人が横に並んでいるが、頭と足の向きが互い違いになっている

という点くらいだ。
(なお、VERSUSのこの構図については、別稿で考察する。)

ignition以降のサムネイルと比べると、この2曲がペアのデザインであることは歴然だろう。

② PrologueとEpilogue

PrologueとEpilogueは、《同じ物語のなかで、本編を挟む対になる存在》だ。
RISEをPrologue、VERSUSをEpilogueと銘打っている以上、同じストーリーを共有していることは間違いないと言って良いだろう。

(2)ignition, Hurt, EX MACHINA――「Chapter.1」の中

① 同じジャケットイラスト

この3曲は同じEPに入っている。
そのため、ジャケットイラスト・メインビジュアルが共通だ。
このメインビジュアルはかなり特徴的な世界を具体的に描いている

巨大ロボット、壊された市街地、近未来的な武器、タクティカルファッション…
(このメインビジュアルについては、本稿の4. (1) ①で詳しく検討する。)

もし、EPのなかにこの世界とマッチしない曲があったら、こんな尖ったジャケットイラストにするだろうか?

私がジャケットイラストを決める立場だったら、最大公約数をとった、もっと抽象的なイラストにする。

ジャケットイラスト・メインビジュアルが特徴的で具体的だからこそ、背理的に、そのビジュアルは各曲に共通するものである可能性が高い

じっさい、ignitionのMVでも、このメインビジュアルがそのまま使われている。
メインビジュアルは、表題曲 EX MACHINA の世界であるはずだ。
ignitionのMVは、 「ignitionは、EX MACHINA と同じ世界を共有している」と明示していることにる。

② 同じEPタイトル

イラストと同じことが、EPタイトルにも言える。
「EX MACHINA」という言葉も、これも日頃使われることの少ない、特殊で特徴的な言葉だ。
(その意味については、本稿の4. (1) ③で詳しく検討する。)

それがゆえに、全ての曲は「EX MACHINA」という言葉に関係するものである可能性が高い。

このように、ignition, Hurt, EX MACHINA の3曲は、同じストーリーを共有していると見て良いだろう。

(3)「Chapter.0」と「Chapter.1」

これについては直接のヒントがない。

消去法で考えると、「異なる可能性がそれなりに高い」と言えそうだ。
「Chapter.1」ignitionのMVで、わざわざ「Chapter.0」の存在を強調しているのには、何か意図がある。
そして、ストーリーの区切りを強調する”以外”に「これだ」と言えるような目的が見当たらない。

ただし、この推論は(1)(2)と比べると確実性がかなり劣る。

やはり、「Chapter.0」「Chpter.1」の中身に立ち入ってストーリーを解釈するしかない。

4. いざ、楽曲の中身へ

(1)「Chapter.1」のストーリー

まずは、キービジュアルと章タイトルというヒントのある「Chapter.1」から検討していこう。

①キービジュアルからイメージする

まず目を引かれるのは、ヨミとカスカ…ではなく、二人の背後にそびえ立つ巨大ロボットだ。
あまりにも存在感が強い。

キービジュアルでは配光の関係で細部が見えない。
ignitionのMV中ではよりくっきりと描かれている。

鈍色に光るボディに白いモノアイと、装飾っ気がなく実用一辺倒といった無骨さを感じさせる。
一方で腹部や脚部は人間的な流線型を描いており、工学的に洗練されたスタイリッシュさがある。
背中から伸びているのは、武器のようにも、片翼にも見える。

現代科学の追いついていない、高度な科学技術が詰め込まれているのだろう。

ヨミとカスカに目を向けると、タクティカルファッションに身を包み、不釣り合いなほど大きなライフルを携えている。兵装だ。
ヨミの傍らには、『AKIRA』に出てきそうなハイテクなバイクが停められている。

一方、街並みはかなり荒廃し、生活の気配が消え去っている。
「止まれ」や「一方通行」の標識は現代日本と同じものだが、ひしゃげ、煤にまみれている。
道路はひび割れ、瓦礫が散乱している。
その道路に突き立てられ並んでいるライフルは、まるで墓標だ。
巨大ロボットの左上に黒煙が上がっているのも見える。

二人の左右にあるのは、破壊された電車の車両だ。
この2つの間に天幕を張り、焚き火を起こして野営をしているようだ。

これらから想像されるシチュエーションはこうだ。

舞台は、未来の日本。

巨大ロボットを作れるくらいには科学技術が発達しているが、電車や自動車が相変わらず交通基盤であるから、遙か未来というわけではなさそうだ。
「近未来をなるべく正確にシミュレーションした写実的なもの」というよりは、「リアル寄り近未来SFの王道」といったテイストに近い。

科学技術は高度に発展した一方、悲しいことに人類社会のほうは進歩せず、戦争に明け暮れている。
その戦いは、電車や道路といったインフラを壊し、都市から人々を排除してしまった。
かわりに並んでいるのは銃の墓標だ。

ヨミやカスカのような年若い女性が武器を取らなければならないほど兵士は減り、野営の物資も不足している。
戦いが終わったところで、果たして人々の生活は戻ってくるのだろうか。
そんな不安がよぎるほどに、消耗戦の、それも末期の様相を呈している。

②歌詞で描かれる世界
ア. 表題曲EX MACHINA

①のイメージを持ちつつ、表題曲「EX MACHINA」の歌詞を見てみよう。

「望まれない争い 幾度重ねて 辿り着いたこの街が帰る場所だったのに」
「溢れ出す涙は奪われた日々の証明」
「弔うことすら許してくれない日々」
「降りしきる火の雨に傘を差した彼らが」

紛うことなく、戦禍である。
望まれない争いを重ね、この街に辿り着くまで、帰る場所を幾度となく火の雨に焼かれた。
たくさんのものを奪われた。
火の雨から街を・人を守ろうとした仲間の命もだ。

「終わりゆく世界で夢の続きが見たいの もう戻れなくても」

終わりゆく」と認めざるを得ないほど、末期的な状況。
残党勢力での抵抗も、限界に近づいているということか。
この「世界」を文字通り《World》と解するか、それとも《ヨミとカスカを取り巻く環境》と捉えるか、ここでは定まらないが、少なくとも「巨大ロボットを保有できるほどの勢力」がいずれ壊滅する。

ただ単に軍と軍がぶつかって一方が敗北するのではない。
戦いに決着が着いたあとの地には人々の生活が戻らない、文字通り壊滅だ。
「終わりゆく世界」は、「終末」と言い換えても良いかもしれない。

「空を舞う鋼は仲間が残した可能性」


仲間が残してくれた、自衛のための力。
「空を舞う鋼」は《航空機能のある兵器》のこと、ここでは《キービジュアルで大きく描かれた巨大ロボット》のことを指すとも考えられる。
「残した可能性」とまでしか言えない。
なくては抵抗は不可能だが、あるからといって戦況を引っくり返せると断言できるだけの力はないということだろう。

「片割れの翼で夢を見るには未完成」
「折れた翼でも飛べる明日まで」

キービジュアルで、巨大ロボの背中から伸びていたものは、どうやら翼・飛行装置のようだ。それも片方しかない。仲間が残してくれた可能性も、その半分が失われている。

「強く覚悟灯して」
「強く決意燃やして」
「飛べる 明日まで」
「二人並んだ未来 変える 明日へと」

頭では、終わりゆく世界、つまりいずれ敗れることがわかっている。
それでも、ともに守ってきた仲間の思いを胸に、「飛べる」と強く自分に言い聞かせる。飛べるのは「明日まで」。今日という日をなんとか守り通すところまでしか信じられない。

明日も二人で並んでいられるように、戦い続ける。

このように、①でイメージした情景と歌詞がぴったり重なり、在り在りとストーリーを描いている。

楽曲EX MACHINAは、避けられない滅びの未来に必死で抵抗し続ける、儚くも力強い戦いの物語だ。

イ. ignition

ignitionの歌詞は前回の記事で概観した。
記憶を辿り「意味」を見つける夜明けの歌だ。
そこにはEX MACHINAで描かれている戦いは登場しなかった。

ただし、EX MACHINAと共通する世界観、すなわち「機械」を思わせるものはある。
ignitionという楽曲タイトルだ。

「ignition」は、「内燃機関への点火」という意味だ。
わかやすく言うと、自動車のエンジンを始動させるのに、キーを回したり、ボタンを押す。そのときに起こっているのが「ignition」だ。
逆に言うと、私たちの日常生活において、エンジン以外のところで「ignition」という言葉に接することはほとんどないだろう。
このように、「ignition」という言葉は、エンジンなどの動力源すなわち機械と結びついている。

「火を灯す青い願い」

「火を灯す」に「ignition」という言葉を用いたのは、このニュアンスを出すためであろう。

そして火が灯るのは「青い願い」。
自然界での炎は通常赤い。
青い炎は、赤い炎よりも高い温度で燃焼するときの色だ。
人為的に高い温度を出すガスバーナーなどで目にする。
これも、燃焼「機械」を連想させる。

このように、楽曲ignitionの世界にはエンジンのような内燃機関・機械が馴染んでいることが示唆されている。
楽曲EX MACHINAの機械技術が発展した世界と親和的だ。

その親和性を示す、言い換えればignitionとEX MACHINA の世界をつなぐために、ignitionというタイトルが用いられたと考えることもできる。

ウ. Hurt

Hurtの歌詞には、戦いに関するフレーズが数多く登場する。

「今この瞬間 開ける私の独壇場」
「目を離せば勝ち取れないから」
「ペースは作った者が勝つの」
「諦めたらこぼれ落ちるだけ」
「ケリをつけて進む」
「待ちわびた勝利」

そして、これらの戦いで感じているのは

「冷めない胸」
「鮮明」
「熱を帯びて回る ここからがゲーム」
「痛み」

だ。
大雑把にまとめると、
《戦いにおいて敵と対峙する刹那の高揚、痛みという生の実感》
を描く歌であると考えている。
(詳細な考察は、改めて楽曲レビュー記事にする予定である。)

そして、この戦いに登場するのは

「鉄の希望」

である。
鋼鉄製の兵器を用いて戦っているのは、EX MACHINAの世界と同じだ。

Hurtの主題を
《戦いにおいて敵と対峙する刹那の高揚、痛みという生の実感》
と評したが、それを描くのにあえて兵器を鋼鉄製とする必然性はない。
これもEX MACHINAの世界と繋ぐためのフックであると考えられる。

ただし、Hurtで描かれる世界には、EX MACHINAの悲壮な雰囲気はない。
戦いは勝つことができるものであり、勝利への渇望が描かれている。

敗北・滅びが避けられないものとされているEX MACHINAと異なる点である。

エ. 3つの世界は連続する??

ア~ウ で、ignition・Hurt・EX MACHINAそれぞれの歌詞を見てきた。
ignitionとHurtには、直接EX MACHINAの世界に繋がると明示されてはいないが、それを匂わせる要素があった。
3(2)で「ignition・Hurt・EX MACHINAは共通のストーリー」と推定したが、これを否定する理由はなさそうだ。
そして、この推定を採用すると、3曲の曲順にある必然性を見出すことができる。

すなわち、3曲は、
①ignition…戦いの当事者になる前の世界
②Hurt …戦いに参加したが、まだ敗色濃厚となっていない世界
③EX MACHINA…戦いを繰り返した結果、敗色濃厚となってしまった世界

と、戦いとの前後関係・時系列で整理することができる。
この①②③は、そのままEPに収録されているトラック順と合致する。

最初のトラックignitionが「意味」を見つけて進み始める一日の始まりの歌であり、最後のトラック EX MACHINAが世界の終わりを描いているのも、物語の始まりと終わりにぴったりではないかと思うのだが、どうだろうか。

③ EPタイトル「EX MACHINA」を読み解く

ところで、「EX MACHINA」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

「EX MACHINA」を直訳すると「機械の」という意味だが、それよりも『Deus ex machina』(デウス・エクス・マキナ)という言葉を連想する人のほうが多いのではなかろうか。

『Deus ex machina』は、もともとは
《古代ギリシャの演劇作品(特に悲劇)によく用いられた表現手法》
を指す用語である。

物語のクライマックスで、展開が行き詰まり登場人物たちではどうしようもなくなったとき、脈絡なく神様が現れて事態を解決し、物語が完結する。
こういった展開のことを指す。

現代日本においても、「デウス・エクス・マキナ」という言葉は、ギリシャ演劇に限らず広くフィクション作品全般の分析・批評に用いる言葉として定着している。
そのため、「デウス・エクス・マキナ」という言葉は、「演劇」「物語」とくに「悲劇」を思い起こさせる。

そして、我々はEX MACHINAの世界が悲劇であると知っている。
「デウス・エクス・マキナ」の意味を念頭に見ると、EPのタイトル『EX MACHINA』は、このEPが、すなわち「Chapter.1」が、

《ひとつの物語世界をコンセプトとした演劇的な作品》

であると説明している、と解することができないだろうか。

『VESPERBELL』という存在それ自体が、「バーチャル」な存在として(半)仮想的世界を構築している。
『EX MACHINA』というEPは、その「VESPERBELLの世界」のさらに内側に、一つの物語世界を作っているのである。
いわば、大箱の中にある小箱だ。
このように解すると、ignition→Hurt→EX MACHINA でひとつの物語が始まって終わる、という解釈とも綺麗に揃う。

確たる証拠に欠けるが、本稿では、この

「Chapter.1」
=《ひとつの物語世界を描く演劇的な作品であり、この章だけで終始完結するもの》

という解釈を採用したい。

なお、EPのタイトル「EX MACHINA」は、『Deus ex machina』から「Deus」を取り除いている。
これは、「EX MACHINA」世界が、登場人物たちではどうしようもできない行き詰まりの状況でありながら、その悲劇を解決してくれるはずの「Deus」がいないことを示唆している。

あるいは、巨大ロボットにはじまるEX MACHINAのメカメカしい世界を、「機械仕掛け」と表現しているかもしれない。

私はこの両方のダブルミーニングではないかと考えている。

(2) 「Chapter.0」のストーリー

本稿を書いている途中で気づいてしまったのだが、「Chapter.0」のストーリー考察は、「VESPERBELLという名前の意味(その②)」と大きく被ってしまう。

本稿では「Chapter.0」と「Chapter.1」のストーリーの差異に焦点を絞って、考察の結論部分だけ記述することにしたい。

ア. MVで共通するもの

RISEとVERSUSのMVでは、共通して、

【制服姿の二人】
= VESPERBELL になる前、あるいはVESPERBELLとして振る舞っているとき以外の、日常生活を送る二人

【コスチューム姿の二人】
= VESPERBELLになった後、あるいはVESPERBELLとして舞台に立っている時の二人

という対比構造が用いられている。

イ. RISEのストーリー

歌詞を借りて大雑把にまとめると、

「ワタシ」=【制服姿の二人】
=「繰り返す日々を同じ顔し」て笑い、「お決まりの展開を眺めるだけ」の、VESPERBELLになる前のヨミとカスカ

から、


「違う私」=【コスチューム姿の二人】
=「覚悟決めてただ前に」進む、「がむしゃらになって挑」む、VESPERBELLヨミとVESPERBELLカスカ

に変わる『決意』を描く物語だ。

ウ. VERSUSのストーリー

VERSUSの曲中では、制服姿のヨミとカスカそれぞれが持ついくつもの将来の可能性を、並ぶ「扉」に喩えている。

そして歌詞を辿っていくと、「光を辿」って扉を選び、「その手で扉を開」いて「踏み出し」、「世界を自分の舞台に変え」るために「阻む壁を打ち破って」走っていく。
こういう展開だ。
ただし、すべて「選べ」「闢(ひら)け」「走れ」と命令形で書かれているから、まだ実際には走っていない。
これから選ぶ場面だ。

つまり、VESPERBELLヨミ・VESPERBELLカスカになる/である『選択』にフォーカスした歌であるといえる。

エ. RISEとVERSUSは同じストーリー

このように、RISEもVERSUSも、『決意』するもの・『選択』するものは同じだ。
《VESPERBELLというユニット、VESPERBELLヨミ、VESPERBELLカスカが誕生した由縁・成り立ち》
を描いている。
その描き方の部分で、RISEはヨミとカスカそれぞれが「ワタシ」から「違う私」になる変化にスポットを当て、VERSUSではヨミとカスカ二人の関係性に着目する、という風に視点が異なるだけだ。
(なお、VERSUSでは「廻る」という世界観も追加されている。この詳細については別稿。)

そして、《VESPERBELLというユニットの成り立ち・在り方を提示する》という内容は、ユニットの最初の曲にふさわしい
いわば自己紹介・名刺である。
この2曲を土台に、これ以降のVESPERBELLの世界が展開されるのだ。

そういう意味では、「制服姿の二人」「コスチューム姿の二人」という演出もまた、VESPERBELL世界の土台に組み込まれていると言ってもいい。

言い換えると、他のVESPERBELLの楽曲MVに「制服姿の二人」が出てきたら、VESPERBELLになる前、あるいはVESPERBELLとして振る舞っているとき以外の二人を指す記号だと読んで良さそうだ、ということである。

(3)「Chapter.0」と「Chapter.1」の違い、位置付け

(2)で説明したとおり、「Chapter.0」のRISE、VERSUSは、2曲合わさって《VESPERBELLというユニットの成り立ちを描くストーリー》を提示し、VESPERBELLの世界の土台となっている。
大箱と小箱の喩えになぞると、《大箱は、どういう風にできた、どんな箱か》を説明するものである。

大箱のなかにあるものは、「Chapter.0」で描かれているものをベースにしていると理解して良い。VESPERBELLの世界を理解しようと思ったときに、真っ先に参照すべき存在だ。

これに対して、「Chapter.1」の位置付けは決定的に異なる。
大箱の中にある小箱、ひとつの演劇作品という特殊世界に過ぎない。

「Chapter.1」の舞台上にある小道具が、VESPERBELLの世界のどこにでもあるとは言えない。
むしろ「Chapter.1」を特徴づける小道具ほど、VESPERBELL世界のベースにはない可能性が高い。
その最たる例が、キービジュアルで大々的に描かれている、あの巨体ロボットだ。
「Chapter.1」単体ではVESPERBELLの世界を理解するのは困難なのである。

5. 結び――次の一歩が遠すぎる

1節から3節を通じて、VESPERBELLの楽曲のうち「初期曲」グループについて、
・「Chapter.0」:VESPERBELLの世界のベース・コンセプトを描くもの
・「Chapter.1」:ひとつの演劇作品のように特殊世界を描くもの
という位置付けがわかった。

次なる課題は、「中期以降曲」グループに属する各曲の位置付けである。

これについては当分記事になる予定はない。全く考察が進んでいないからだ。

現時点で判明しているのは、次の2つだ。

①どの曲にも「Story」のクレジットがない。
→初期曲グループのように、「この曲とこの曲はストーリーを共有している可能性が高い」という推測が働かない。

②どの曲の「Lyrics」にも「Chapter.0」を担当したハル氏がいない
→出力されている歌詞は、それぞれの作詞家が、VESPERBELLのベース世界を再解釈して再構成したものである。
もちろん、作詞の打ち合わせにあたってVESPERBELLのベース世界・コンセプトに関する説明は当然あったであろう。
それでもVESPERBELLのベース世界の再解釈・再構成という工程を経たことは否定できない。工程上ズレが生じる可能性が高いということだ。

このように、「中期以降曲」それぞれの位置付けを考えるのに、「初期曲」にあったような補助線が使えない。

となると、ヒントなしで曲の中身に立ち入ってストーリーを解釈していくほかない。
「中期以降曲」それぞれの位置付けを考えるのは、「初期曲」と比べて、どうしても険しい道になってしまうわけだ。

そういうわけで、「VESPERBELLオリジナル楽曲たちの関係(その4)」が出なくても、どうか許してほしい。


…といったところで本稿はお終い。

最後までお付き合いいただいた貴方、本当にありがとうございます。
「読んだ」「つまらん」「ここがおかしい」etc..
どんなことでも声を掛けていただけたら嬉しい限りです。

それではまた、次の記事で。

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